第29回 八王子城跡
お城なんて今まで大阪城とか小田原城みたいな天守閣があってこそのもの。「昔お城があった場所」なんてつまらない……
そんな固定概念を打ち崩してくれたのが、この八王子城址。
小田原城と北条氏には興味があったため、この八王子城にも以前から興味がありました。
しかし"八王子城=心霊スポット"という認識程度。
きっかけは記念スタンプ欲しさだったのですが、訪れてみて山城の壮大さ、難攻不落さ、そして景色の良さに感激しました。
いわゆる歴史ロマンといったヤツです。
まぁただ人を選ぶ施設であることには間違いありません。
長宗我部のアニキLoveとか言っちゃっているような、にわか歴女(れきじょ)はすっこんでろ。
素直に歴史の雰囲気に浸りたい……そんなあなたにお勧めです。
だが、山登り半端ない。
八王子城址(御主殿跡)
八王子城は、小田原に本拠をおいた後北条氏の、三代目氏康の三男、北条氏照が築いた山城です。
天正年間に築城が開始され、天正12年から天正15年の間に、氏照が滝山城から拠点を移したとされます。
豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年6月23日、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。
この八王子城落城が決め手となって、本拠の小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこのとき小田原に
篭城中で、兄の氏政と共に城下で切腹しました。
八王子城は関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成であったと考えられています。
城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、城主氏照の館などがあった「居館地区」、戦闘時に要塞となる「要害地区」に分けられます。
城山は様々な動植物が生息し、四季折々の様子を目にすることができます。
散策をすれば歴史を学ぶとともに、豊かな自然に触れる有意義な時間を過ごすことができます。
国史跡 八王子城跡パンフレットより
観光スポット付きの案内図。上にいる ゆるキャラ?は「うじてるくん」らしい。
大手の門跡付近だが…どこかよくわからん。(画像処理しました)
古道を抜けると見えてくる「曳橋」。この橋を渡るといよいよ氏照の館跡(御主殿跡)です
虎口(曲輪の出入口)です。先が直角に曲がっているのは敵の侵入を防ぐためらしい。
虎口を曲がると御主殿入口の冠木門(かぶきもん)。復元ではなく当時のイメージですが壮大です。
御主殿跡。今はただの広場ですが、昔ここに大きな館があったかと思うと感慨深い。
御主殿跡から曳橋を撮影。戦のときにはこの橋を落として敵の侵入を防いでいたのだろう。
八王子城址(本丸跡)
八王子城は、かなりけわしい山に築かれています。そのため、敵の攻撃を防ぎやすいのです。
しかし、いつも山の上で守っているわけではありません。ふだんは山のふもと(御主殿地区)に屋敷をかまえて
暮らしています。
そして、いざ戦いとなれば、攻めるときは城をうってできますが、城にたてこもって味方の助けをまつ場合は、
山のうえの、本丸を中心とした曲輪にはいって守るのです。
こども解説シート 八王子城パンフレットより
八王子城に行く途中にある北条氏照と家臣の墓によってみました。
お墓自体は目立たないわき道にあります。そしてお墓へ続く階段。結構しんどい。
北条氏照の墓。100回忌に造られたもの。今でも花が絶えません。
お墓の説明。北条氏照の家臣の孫が水戸藩の家老となり建てたもの。主君想いです。
主君の傍に仕えるように後ろに点々とあるお墓は家臣のものでしょうか。それともただの便乗?
ガイダンス施設の内部。モニタに北条氏の栄枯盛衰が映し出されていました。
管理棟の右側の道へ行くと本丸への道があります。ここから山登りです。
管理棟から本丸までおよそ40分。結構ハードな山登りです。さすが山城。
これが八王子権現…ではなく、見下ろすように立っている天狗。夜中見たら失禁しそう。
こんなに狭いと"本丸"とは何なのだろうと考えさせられます。本丸にたどり着かれたら負け、みたいなものか?
ここは松木曲輪。中山勘解由家範が守っていた所で、ふもとにあった墓をつくった人の祖父の人です。
本丸に行く途中の道から見える眺望。家々が遠くまで見えます。突然景色が開けるので感動します。