第48回 岩殿城・岩殿山ふれあいの館

スポット情報

名称 岩殿城・岩殿山ふれあいの館
住所 山梨県大月市賑岡町強瀬81-1
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始(12月27日~1月5日)
サイト 岩殿山ふれあいの館 | 大月市
初回訪問 2014.9.15

別にお城マニアではないのですが八王子城を訪れて以来、巨大な天守閣がそびえ立つ観光地のような城よりも、 歴史にうずもれた山城の方に魅了されるようになってきました。

今回色々なwebサイトを調べるうちに"稚児落とし"なる言い伝えがある断崖絶壁が大月市にあると聞き、そこに行ってみたくなりました。
どんな悲しい歴史があるのだろうか。やはりこの目で確かめなければ。

岩殿城は武田信玄で有名な武田家の武将 小山田氏の拠点となった地。
信虎、信玄、勝頼の元で権勢を振るったが、勝頼が織田信長に敗れると寝返って岩殿城を頼って落ち延びてきた勝頼を拒否。 行き場を失った勝頼は天目山で自害→戦後、織田信長より不忠者と言われ小山田信茂は切腹→岩殿城落城→稚児落とし……という見事な落ちぶれっぷり。

主君を裏切るにも様々な事情があるのでしょうが……悲惨極まりない。

本当は1日で岩殿城と稚児落としまで回ってくる予定でしたがモタモタしているうちに出発が遅れ、今回は岩殿城のみです。



岩殿城・岩殿山ふれあいの館

(前略)

すなわち、勝頼はこの時点で親族や家臣団の裏切りが続出して、苦境に立ち再起不能の状況である。
また、この三月三日の夜、大善寺に居合わせた武田信虎の妹理慶尼は、勝頼一行の様子を、

「勝頼が馬ひけと叫ぶも、その馬人はいつとはなしにいない、従う女官は徒歩や裸足で足に血がにじみ出ていた」と伝え、 この集団の哀れで惨めな姿を記録している。

この勝算のない五十人以下となった集団をもし、岩殿城に迎え入れたならば郡内は戦国時代の習わしとして 二十万という織田、徳川の大群に包囲され、領民も小山田軍将兵も全員戦死し玉砕し、領地は焦土と化し最悪の事態となった。

現在、はっきり言えることは、天下の名城岩殿城で戦いがなかった。強兵を誇った小山田軍に一兵の戦争犯罪者がなかった。 小山田氏建立や寄進の文化財が多いのに一軒の寺社も民家も戦火にさらされなかった事は確実で、四百年に及ぶ郡内領主として領土を守る 責任があったのである。

(後略)

岩殿山ふれあいの館 パネル「小山田氏の謀反を否定」より