第49回 岩殿城~兜岩・稚児落としルート
前回の岩殿城 登城から約2ヵ月後。やはり稚児落としがこの目で見てみたくて、 再びチャレンジしました。
2~3時間ぐらいで踏破できるコースなので私のような登山ド素人でも行けるのですが、そんな初心者向けの山でも途中で鎖に つかまらないと登れない箇所もありスリリングなコースでした。
稚児落としは……やはり写真で見るのと自分の目で見るのでは感動が違いました。
実際の史実はどうかわかりませんが、落城から道なき山道を追っ手の恐怖に怯えながら落ち延びていき、断崖絶壁に追い詰められて
子どもを突き落とさざるを得ない母の心境を推し量ると涙が出てきます。
岩殿城~兜岩・稚児落としルート
1582年(天正十)年3月中旬、岩殿城は北条勢によって攻撃されていた。 この月の3日武田勝頼は築城して11ヶ月の新府城に火をかけ大月市の岩殿城に向かって敗走していた。
岩殿城は城主小山田信茂とその一族郎党は織田方の命により甲府善光寺に出頭するという混乱と動揺を極めていた。
小山田氏の残された婦女子は、予想された落城の道を脱出することになり、堅手門から大手門・築坂峠・兜岩・呼ばわり谷の大岩壁と、
来たときに背にしていた子供が突然泣き出し、追っ手に察知される距離となった。
夫人は背より子供をおろしあやしたり乳房を含ませたりしたが泣きやまず、その上他の子供も泣き出し、敵の武士に発見されてしまった。
夫人は、思案に窮し、やむなく子供らをこの岩壁上から落とし大菩薩山塊の一つ「雁が腹摺り山」方面に逃れ去った。
この時最後の「末期の水」を子供らにのましたところを「水くれ堂」、子供を落とした150mに及ぶ急峻な岩壁を「稚児落とし」と呼ぶようになった。
(後略)
岩殿山ふれあいの館 パネル「落城の道」より
また懲りずにパノラマ写真。右側が前回訪れた岩殿山。今回も岩殿山から左側に行き、奥の方へ行き、一番左(?)側に抜けるコースだと思います。写真へのリンク
前回も訪れた丸山公園。標高444m。ここから大月市街を望みます。
この日は天気もそこそこ良かったので、山の間にそびえ立つ富士山も見えました。
季節は紅葉シーズン。色づいた紅葉が鮮やかで陽に照らされて見事な美しさでした。
前回と同じように岩殿山山頂を目指して進みます。勝手も知っているので前回より気持ちが楽です。途中で分岐点があります。
戦国時代からこの道は脱出用に整備されていたとありますが、同じ道を落ち延びて行ったのでしょうか……。
鉄塔がありました。このアングルは某ゲームのオープニングを思い出す。わかんないだろうなぁ…。
登山愛好家か観光協会かわかりませんが虎ロープを張ってくれています。もちろん当時はこんなのないわけで…でもまだ余裕。
稚児落とし"鎖場ルート"と"林間ルート"。初心者だけど男は黙って鎖場ルート。
写真じゃわかりにくいですが、鎖にへばり付いて写真を撮っています。ゴールは遥か上…。
途中の景色はなんともいえない美しさ。でも必死に落ち延びている人々にそんな余裕はない。
後を振り返れば岩殿城の姿。落城したときは火や煙に包まれていたのだろうな…。城の姿を見て何を思ったか。
足元はこんな感じ……。安全も何もあったもんじゃない。滑落したら再起不能。
細い道の岩場をなんとか渡り切るとすぐ鎖場。ちなみに渋滞中……。
あまり山頂という感じがしませんが、途中、ここが天神山の山頂。実はここまで言うほど大変じゃない。
花咲カントリー倶楽部の方面を望む。ゴルフオヤジはやはり見え…ない。
天神山からさらに10分ほど歩くと突然木々の間から巨大な岩壁が見えました。
高さは150メートルほどあるようです。絶壁の上に人がいるのがわかりますか?
他にも登山ルートがあるようです。トズラ峠ってどこへ出るのだろう……。
稚児落としの絶壁の上で大休憩を取ります。見えるのがこれまで歩いてきた道です。
稚児落としから見る景色のパノラマ写真。山に登って何が良いかというと景色とともに吹き抜ける風を味わえることに尽きる。写真へのリンク
振り返ればこれまで歩いてきた道がわかります。一番左奥に見えるのがスタートした岩殿山。来た道を振り返るとき、一行はどのような心境だったのだろう。
この矢印のコースを辿って落ち延びてきた。もちろん夜陰に紛れて落ち延びたのではっきりと見えないだろうけど。ここで我が子を突き落とさなければならないまで追い詰められた心境。想像すると涙が出てきます。
稚児落としで昼食を取り少し寝たりして1時間ほど休んだ後、再び出発です。
道はさほど整備されていないので歩きづらいですが、下りなので麓まであっという間です。
麓の民家に怪しい小屋を発見!連れ込み小屋ちょっとしたサロンというかビアホール的な施設だったのでしょうか。