第56回 武蔵国分寺跡・武蔵国分寺跡資料館

スポット情報

名称 武蔵国分寺跡資料館
住所 国分寺市西元町1-13-10
休館日 月曜日、年末年始
サイト 武蔵国分寺跡資料館 | 国分寺市
初回訪問 2015.04.12

奈良"天平文化"と聞くとよく思いつくのは東大寺の大仏や薬師寺、興福寺…などの平城京。
ですが、天平文化を肌で実感できる場所が東京にもありました。

聖武天皇は平城京に遷都して大仏建立などを行う一方で、諸国に国分寺や国分尼寺を建てて仏教による国家鎮護を行いなさい。 という詔を出していました。
その代表的な国分寺が国分寺市にあります(…と書くとよくわからない表現ですが)

史跡武蔵国分寺跡-。
奈良みたいに実物があるわけではありませんが(跡地しかない)、その場に訪れて空気を吸えば"天平ロマン"をきっと実感できるはず。
うらやかな春の日差しを浴びながら国分寺を散策するのも、また乙なものです。



8世紀中頃(奈良時代)、国内では相次いで飢饉や干害、大地震による災害、疫病が流行して、人々は苦しんでいました。
政治を行っていた朝廷でも、中心的な役割を果たしていた藤原四兄弟が疫病で亡くなり、大宰府(福岡県)では 反乱が起こるなど、混乱が続いていました。

天平13年(741)、聖武天皇は、仏教の力で国を安定させ、人々を苦しみから解放するために、諸国に国分寺(僧寺:金光明四天王護国之寺と尼寺:法華滅罪之寺) を建立するように命じました。

武蔵国では、国府(現:府中市)に近く、都へ通じる東山道武蔵路沿いの湧水が豊富な、国分寺崖線の麓一帯に、 国分寺が置かれました。国分寺市の名前は、古代に国分寺が置かれたことに由来しています。

(後略)

武蔵国分寺跡資料館パンフレットより