第56回 武蔵国分寺跡・武蔵国分寺跡資料館
奈良"天平文化"と聞くとよく思いつくのは東大寺の大仏や薬師寺、興福寺…などの平城京。
ですが、天平文化を肌で実感できる場所が東京にもありました。
聖武天皇は平城京に遷都して大仏建立などを行う一方で、諸国に国分寺や国分尼寺を建てて仏教による国家鎮護を行いなさい。
という詔を出していました。
その代表的な国分寺が国分寺市にあります(…と書くとよくわからない表現ですが)
史跡武蔵国分寺跡-。
奈良みたいに実物があるわけではありませんが(跡地しかない)、その場に訪れて空気を吸えば"天平ロマン"をきっと実感できるはず。
うらやかな春の日差しを浴びながら国分寺を散策するのも、また乙なものです。
8世紀中頃(奈良時代)、国内では相次いで飢饉や干害、大地震による災害、疫病が流行して、人々は苦しんでいました。
政治を行っていた朝廷でも、中心的な役割を果たしていた藤原四兄弟が疫病で亡くなり、大宰府(福岡県)では
反乱が起こるなど、混乱が続いていました。
天平13年(741)、聖武天皇は、仏教の力で国を安定させ、人々を苦しみから解放するために、諸国に国分寺(僧寺:金光明四天王護国之寺と尼寺:法華滅罪之寺) を建立するように命じました。
武蔵国では、国府(現:府中市)に近く、都へ通じる東山道武蔵路沿いの湧水が豊富な、国分寺崖線の麓一帯に、 国分寺が置かれました。国分寺市の名前は、古代に国分寺が置かれたことに由来しています。
(後略)
武蔵国分寺跡資料館パンフレットより
散策した日は秋葉原駅近くで鉄塔が倒れ大騒ぎになった日。不通状態。
国分寺駅からとぼとぼ歩くと突然道路の向かい側に大きな公園が見えてきます。
その公園が武蔵国分寺公園です。うらやかな春の日に公園散策もまた良いものです。
公園のメイン場所"円形広場"です。芝生で寝転がろうと思ったら人が多すぎてそれどころじゃない。
国分寺崖線の湧き水を引いているのでしょうか…"武蔵の池"奥の石垣から水が滝のように流れています。
公園の一角に謎のオブジェを発見しました。パッと見た感じ"もののけ姫"に出てくる首をカタカタ振るヤツを思い出したのですが…。
昔この辺りは"中央鉄道学園"と呼ばれる旧国鉄の教育施設の敷地でした。その名残からSLの車輪のモチーフにした記念碑。
ふれあい橋を渡って西元地区へ移動します。ここは"こもれび広場"。さっきの円形広場に比べたら少し人が少なくて穴場的な。
武蔵国分寺公園は南側の国分寺崖線に向かって広がっています。そして野鳥の森で紫に絨毯の美しさにハッと心を打たれました。
さらに白い絨毯もあったので花を撮影。これも何の名前かわからない。ヤレヤレ┐('~`;)┌
公園を出て国分寺崖線の坂を下ると、すぐに真姿の池湧水群が見えてきます。全国名水百選に選ばれているようです。
このお洒落な小道が"お鷹の道"です。"おタカさんの…"ではなく、御鷹場に指定されていたことから。
道と鷹場があまり関係なさそうな"お鷹の道"を歩くと"お鷹の道湧水園"の入口に着きました。入園券は"史跡の駅"で買えとあります。
すぐ後を振り返ると史跡の駅"おたカフェ"があります。店員が料理を運ぶのにてんてこ舞いで「チケット買いたい」とは言い出しづらい雰囲気。
お鷹の道湧水園はかなり狭い。園の奥は崖になっています。この崖が国分寺崖線。
そして旧本多家の蔵…だったけな。そういえばこんな蔵が昔実家にありました。中に入ってよく遊んだものです。
七重の塔の模型が置いてありました。聖武天皇は諸国に国分寺を建立し、さらに七重の塔を建てなさいと命じました。
七重の塔(の模型)ですが下から見上げると圧倒的な迫力です。実際は60mあったと推定されています。
武蔵国分寺跡資料館の入口に到着。パッと見、ただの民家かと思った。
ちょっと入るのに抵抗を感じる扉を開けると、そこは武蔵国分寺ワールド。これが奈良時代に関東に存在した武蔵国分寺です。
周辺も含めて模型が精巧に作ってあります。さっきの写真の七重の塔は手前側に映っています。
銅造観世音菩薩立像。白鳳時代(7世紀末~8世紀初頭)に制作されたものが、こんな身近に見られるなんて。
こちらは唐草四獣文銅蓋。奈良時代(8世紀中頃)のものです。火熱によって一部が溶けてしまいましたが、1000年も残っていますとは凄い。
武蔵国分寺で使われたの瓦たち。制作した村の名前の一字が彫ってあります。奈良時代の昔も漢字があったとは。
奈良時代の村の名前。多磨(多摩?)、豊島(豊島区?)、足立(足立区?)、高麗(高麗川?)など現在の地名のルーツがあります。
同じ瓦でも"戯画瓦(人物)"。写真では見づらいですが、うっすらと人の顔が彫ってあります。これが奈良時代人の落書きだったらどうするんだ。
五重の塔とかのてっぺんについている謎の飾り。墓が雨ざらしだけど傘をつけた…ってほんとかよ。
国分寺建立の詔。「僕はダメ人間だけど仏教の力に頼るしかない。全国に国分寺つくれー」って感じ。」
資料館を後にして再びお鷹の道湧水園です。一番奥には湧水源を観察できる場所があります。立入禁止なので遠くから眺めるしかない。
ちょっと写真が怪しいですが…ここから水が湧き出ているみたいです。
お鷹の道湧水園から少し歩くといよいよ武蔵国分寺跡が見えてきました。
この日は"花まつり"をやっていたようで、人がごった返していました。そして着いたころは祭りオワタ
"花まつり"といっても桜の花もだいぶ散ってしまっていました。
かつてここにあった武蔵国分寺の講堂。その昔大きく栄えた武蔵国分寺も……
今では跡地しかありません。ここに講堂があった証拠、礎石が残っています。
"兵どもが夢の跡"という句を思い出しました。諸行無常を感じます。
これは発掘現場ではないよな……。ただの石置き場か。紛らわしい。
武蔵国分寺の後継寺院"武蔵国分寺"(←わかりにくい)はすぐ隣にあります。