第50回 ペリー公園・ペリー記念館
三浦半島方面は約3年ぶりとなります。
大河ドラマ"花燃ゆ"も舞台は幕末だし(黒船は一瞬で終わったけど)、歴史好きとしては太平から一気に激動の世へ移り変わる幕末について
詳しく知りたいという思いもありました。
浦賀・久里浜といえばペリー上陸の地。
突然出現した煙を濛々と上げる軍艦(黒船)に上から下まで大騒ぎ。ペリー記念館はそんな激動の幕開けとなるきっかけの一端を知ることが出来ます。
ペリー公園・ペリー記念館
久里浜海岸のペリー公園内にはペリー上陸記念碑があります。
この碑は、日本の開国を求めて来航したアメリカ海軍提督マシュー・カルブレイス・ペリーが嘉永6年6月9日(新暦1853年7月14日) に久里浜海岸に上陸したことを記念して建てられたものです。
ぺリー上陸記念碑の除幕式は明治34年(1901)7月14日、ペリーの上陸と同じ日に行われました。
参列者は桂首相ほか閣僚、個人として榎本武揚やペリー艦隊の一員として来航した経験のあるアメリカ退役海軍少将ビアズリーやペリーの 孫のロジャーズ少将ら、総数約1,000人。久里浜沖では日米の軍艦が祝砲を放つなど盛大な式となりました。
碑文の「北米合衆國水師提督伯理上陸紀念碑」は伊藤博文の筆によるものです。
(後略)
横須賀観光情報「ここはヨコスカ」webサイトより
JR久里浜駅近くの空き地に大量のハトがエサ食べてた。飼っているのか?
駅からペリー公園までの歩道に黒船のレリーフがあり、道案内してくれます。
京急久里浜駅から徒歩20分ぐらいで到着。地元民は今でも"ぺるり"と呼んでいるらしい?
公園自体は小さいものです。写真奥のトイレ前で陸上部と思われるJKが生着替えしていてドキドキした。もっといいカメラ持ってきていればっ!
ペリー記念館は小さい公園の一角にあります。写真ではわかりにくいですが入口左側に幕府側 戸田伊豆守の胸像。右側にアメリカ側マシュー・ペリーの胸像があります。
館内1Fにあるジオラマ。突然浦賀沖に現れた軍艦に人々は動揺した。
旗艦「サスケハナ」。サスケハナ川から命名されたようですが、"佐助の鼻"みたいでダサイ。
2Fの展示室。日本人が描いたペリーとその乗務員の姿。ちょっと画力に難が……アメリカ人みんなこんな短足か!?
黒船来航の様子を伝える記録。左下のオッサン2人、何かのコントかよ。
日本側の警備状況を伝える出版物。大名総出で警備に当たっていた様子がわかります。大名が「俺の所に来るなよ!」と思っていたかどうか…。
黒船来航を伝える瓦版。左の瓦版は幕府側がこんな偉そうにふんぞり返って、アメリカ側が「へい、どーもどーも」みたいに跪いているわけがない。
同じく瓦版。ネットもなかった当時、大名も庶民もこの瓦版を食い入るように読んで情報を仕入れていたに違いない。
ペリー上陸の図。瓦版よりこっちの方がリアル(当たり前だが)。絵からは当時の張り詰めた空気が伝わってきます。
浦賀での黒船の沿岸の様子。黒船4隻に沿岸を取り囲むこの人数。"たった四杯で夜も眠れず"と狂歌に読まれてしまうのもわかります。
横浜での黒船と沿岸の様子。浦賀でアメリカからの国書を受け取った翌年に横浜で日米交渉が行われることになる。
ペリー記念館の2F展示室。展示物は少ないが無料(2015年2月20日現在)というのが嬉しい。
奥に見えるばかでかい石碑がペリー上陸記念碑。1901年に除幕、1945年2月に倒され、終戦後11月に再建されました。
ペリー生誕のアイランド州から寄贈された"石"。石もらってもねぇ…
記念碑の文字は伊藤博文揮毫。一度は戦争中に"アメリカ憎し"から倒さた。(←モノに当たるとか子どもか)
ペリー公園入口から後を振り返れば東京湾(浦賀沖)が広がります。黒船襲来という一大事件を思うと感慨深い。
ペリー公園のすぐ近くに東京湾を横断する東京湾フェリーの久里浜港があります。