大学時代に同じ研究室だった人から恩師の訃報を知った。
メールの文面には恩師である磯部先生が昨年の大晦日に亡くなったことと、時事通信の記事へのURLが記されていた。
俄に信じられずURL先の記事を読んだ。それでも信じられずにもう一度、二度、三度と繰り返し読み返した。
家族に最後の置き土産=「生前の付き合い教えて」-天文学者、死亡広告に思い
「妻と娘に、私との付き合いがどうだったかを書いた手紙を送って」-。20日付の一部全国紙に、風変わりな死亡広告が載った。肩書や住所もなく、氏名のみ。知人への感謝や自らの死生観をつづり、家族への「置き土産」を残した広告の主は、昨年の大みそかの夜、64歳で世を去った一人の天文学者だった。
元国立天文台助教授で、地球に衝突する可能性がある小惑星を監視する「日本スペースガード協会」理事長を務めた磯部◆(王へんに秀)三さん。以前から肝臓が悪かった磯部さんは、昨年春ごろから体調不良を訴えて11月に検査入院した。しかし、既にがんが進行していた。
妻の良子さんは、磯部さんを「やると言い出したらやりすぎるほどの行動派」と評する。広告に載せた文面は、約15年前、皆既日食観測のために医者の制止を振り切ってメキシコの5000メートル峰に登る際に自ら書き、「万一の時は」と良子さんに預けていた。
時事ドットコム2007/01/27-05:17
しかし訃報を知ったのが亡くなってから1ヶ月も経ってから。しかもネットの記事というところがなんとも情けない。 記事中に"20日付の一部全国紙に、風変わりな死亡広告"とあったので、「もしかして……」と思い、1週間前の新聞をひっくり返して調べた。
果たしてそれはありました。それは小さな広告でした。
"神の存在を信じていない"と豪語してみたり、肩書きなんてくだらない、と考えているところなどいかにも先生らしい。
……………。
先生と出会ったのは自分が大学1年生の時。自分が通っていた大学は研究室は4年次から行けば良かったのだが、先生の研究室は違った。 大学外部の研究室(=国立天文台)ということもあったのか、先生の研究室だけは1年次から行かなければならなかった。
物理学科の中では異色の"天文学"という目新しかったことも手伝い、説明会があった日の輪講会(※1)には自分を含め20名以上の志願者が集まったものだ。
(※1)輪講会……論文(もちろん英語)を読み週替わりで担当者が論文の内容を講義。テーマについて議論し合う研究活動の一環。自分が担当者になる週は戦々恐々となる。
ところがその日の輪講が良くなかった。担当者が勉強不足で内容について先生に突っ込まれ、誰も答えられずに全員が10分以上の沈黙。しかもそれが1回や2回ではなかった。
"天文学"という華やかなイメージ(※2)と裏腹にやっている内容は泥臭い物理学だった。
(※2)華やかなイメージ……"天文学"というと美しい星空の下で女の子と天体望遠鏡をのぞきながら一夜を語り明かす--そんなイメージを持ってました、私は。
そしてそのお通夜状態の効果はてきめんだった。翌週の輪講会参加者は半減したw。その後は1年ほど同期8名で頑張っていたが、1人減り、2人減り……3年目には4人になった。
先生の質問に誰も答えられず全員が沈黙する息苦しい"お通夜状態"は輪講会のたびに頻発した。4年間よく頑張ってこられたものだと今でも思う。 輪講会のたびに先生や院生からバカだのアホだの言われながらやってきた。先生からは徹底的に考えることをたたき込まれた。
「別に間違っていてもいい。なぜそうなるかを説明しろ」
これは先生から言われ続けられてきた"教え"。
……………。
"天文学"の研究室なので観測にもよく連れて行ってもらった。主な観測所は長野の軽井沢。先生の運転する車(←結構運転が荒い)に乗せてもらい観測所へ。 冬は極寒の地で一晩中屋外で観測。想像(妄想?)していたロマンチックな光景とはほど遠かった。反面、雲が出るなど天候が悪いときは一晩中室内で待機。 一時間ごとに交代で天気を見に行って雲がなくなるのをひたすら待つこともしばしば。
獅子座流星群の大出現と言われたときも観測へ。 確かNASDAの人の研究の手伝いか何かで流星群をビデオ撮りしながら、みんなで流星の数をカウントするといったもの。
ただその年は大出現と言われながらも不発の年で、星は流れないわ(=数える仕事がない)、寒くてたまらなかったわで。みんなでブツブツと
「……全く、いそべっち(←先生のこと。失礼極まりない)は一人でぬくぬくと、室内でコーヒー飲みやがって。」
と文句をブー垂れたり、あまりの寒さを凌ぐために何か喋らねばと思ったものの、ネタも尽き最後は下ネタ炸裂トークを展開していたら、 ビデオ撮りしていた事実をすっかり忘れ、後で先生にニヤニヤ笑われたりと……。今となっては良い思い出です。
……………。
先生ぐらいの人になれば多忙を極める人のはずなのだが、週1回の学生のくだらない輪講会と年数回の打ち上げには本当によく参加してくれた。
自分が卒業してから会う機会もぱったり途切れていたのだが、卒業して4年目のある日。 突然、自宅に電話をかけてくれて自分の退官記念パーティーをやるから参加してくれと直接誘って頂いた。 この権威や肩書きに拘らないフットワークの軽さが先生の持ち味だった。
その退官記念パーティーの時に「よし、おまえら今度わしの持っている山小屋に招待してやる」と"山小屋=観測所?"で"招待=観測の手伝い?"ではないかと疑ってしまうような、 秘密の山小屋に招待してもらうはずだったのだが………。それも叶わぬ夢になってしまいました。
先生から受けた恩恵は計り知れません。そしてそのご恩を返すことが出来ていない自分の不甲斐なさに、ただ、ただ恥じ入るばかり。
今までありがとうございました。社会の役に立つ人間になることで、少しでもご恩が返せればと思います。
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