卒業式を迎えるにあたって詰め将棋のように準備を進めてきた。
そしてX Dayまであと2日……というところで勃発した卒業アルバム事件。もうてんやわんや。
卒業式前日…
卒業アルバム事件の方向性がなんとか見えてきた明け翌日。
朝6時20分に出勤して、1人で理科室にこもって46ページ×42冊=1932枚の紙を集めながら製本。1冊あたり2分で製本できれば全部で84分で完成する。
始業まで約90分あるのでギリギリ行けそうか?
そんな分刻みのスケジュールの中で黙々と1枚1枚紙を集めてまわる。
もっと効率の良い方法があるはずだと思いながらも他に方法が思いつかない。最悪、今日の学活で生徒に製本させることも覚悟したが、それもなんか格好悪い。
やはり「これが担任からの餞(はなむけ)だ!」と完成したものを渡したかった。ちょっとしたプライド。
そんな終わるか終わらないかギリギリのところで作業している中、廊下をパタパタ走る音がして学年の若い女性教員が理科室に飛び込んできた。
「編集した動画がうまくパソコンに入らない!」
どうやら今日の学年集会で見せる3年間の思い出動画が完成しないらしい。
……っていうか、お前その作業を昨日のうちに目処つけとけよ。余裕しゃくしゃくで先に帰ってんじゃねーよ。
そして前任校でクラスの子たちに私が編集した動画を見せて大好評だったとかなんとかドヤ顔で言ってたよな。
「どうしよう!このままだと今日の学年集会で動画が見せられない!」とか完全にパニクってるし。
っていうか知るか。
あなたの動画の手伝いをするために私は早起きして出勤したわけではない。
とりあえず口頭でアドバイスを伝える。
そのまま突き放しても良かったのだが、同じ学年としてそれもどうかと考え、結局作業を中断して助けに入る。約10分の時間を無為に費やした。
朝の会議に間に合うギリギリの時間に紙は集め終わったが、製本までは間に合わなかった。
学年集会も無事終わり、通知表を渡す学活の時間に手紙集を一緒に渡した。
製本までは間に合わなかったので、閉じ紐だけ先に配って早朝必死こいて集めた紙の束を渡した。
3年前とは違って、このクラスの生徒たちには思いが伝わるだろうという密かな自信があった。だからこそ、この2週間寝る間を惜しんで書く決心をしたのだ。
もうちょっと計画的に始めていれば、余裕をもって出来たのにとは今でも思う。
さすがに親からの手紙ほどのインパクトはなかったものの、自然と全員が一言もしゃべらずに読んでいたのには正直自分が驚いた。
これで全てが終わった爽快な気分がした。
そして卒業式当日
朝から清々しいまでの天気だった。
迎えた巣立ちの日。
式の時間までゆっくり生徒たちと語り合い、式本番を迎える……はずが、朝から超バタバタだった。
例年なら卒業生は在校生より遅く登校をして、ゆっくりと開式を待つという流れなのだが、例の卒業アルバム事件が尾を引いており大忙し。
在校生と同じ時間に登校させて持参した卒業アルバムに訂正シールを貼りまくる。全員が貼ったかどうか名簿でチェックしなければならなかった。
不幸にも忘れてしまった生徒は、卒業式後に再登校をさせるという無慈悲な処置。
こんなバタバタな緊急事態の中で、髪を染めてきたり訳の分からない髪型にする生徒がゼロだったことは幸いだった。
3年間みんなであの手この手を使って指導してきたが、最後はこちらの気持ちが伝わる学年だった。良い生徒たちだったと思った。
卒業式は意外と泣けないものだ。
呼名も、祝辞も、セレモニーも、歌も流れてゆくだけだ。
けれどセレモニーで代表の生徒たちが担任への感謝の気持ちをアドリブでしゃべっていたのには驚いた。この瞬間、涙腺が決壊。
ラスト10分ぐらいだったが退場までずっと泣きっぱなしだった。
自分的には良かった式だと思ったが、後で担任兼学年主任の先生は「担任だけに感謝の言葉を述べてはダメ。学年の教員みんなで見ているのだから」 と言われ、なるほどと思い直した。
最後の学活
卒業式も終わって最後の学活を迎えた。
式が予想以上に早く終わってしまい、学活の時間が25分間あった。担任への有難い配慮のはずだったが、25分はいくらなんでも長い。
こっちはこの時間が短いことを見越して、手紙集を前日に配っているのだから。
なんとか25分を持たせなければならない。
最後にみんなに話したことは3年前に話した内容とほぼ同じという進歩のなさ。>ありがとう、3年前の記録。
(ここから)
今日は君たちにとって、これから羽ばたいてゆく君たちにとって喜ぶべき晴れやかな日なのに、涙が出てくるのはなぜだろう。
このクラスで色々なことがあったけれど、4月何日かにこのクラスで出会って、今日この日まで205日間。
僕はこの3年3組の担任で幸せだったと思う。
4月の最初に学級目標を決めたとき、GTO(※)なんてつけてくれた。
果たして僕はそれに相応しい人間だったのだろうかと今でも思う。足りないところもたくさんあった。でも僕なりに一生懸命やってきたつもり。
(※)GTOという漫画から。GTはグレート・ティーチャーの略。Oは自分の苗字の頭文字がたまたま一致したことから。
僕は前にも話したけれど、これまで担任は6年間やったけれど体育祭と合唱祭のどちらも今まで勝ったことがなかった。
でも君たちが頑張ったおかげで今年体育祭と合唱祭両方勝つことが出来た。
何よりも体育祭の大ムカデでは一度も転ばずに完走した。ぶっち切りの1番だった。合唱祭では音楽の先生に「久々に良い歌を聞かせてもらった」とまで
言わせるような合唱を聞かせてくれた。
僕にとってそれは忘れられない思い出だ。
もしかしたらこの後、この中で(僕に)一生会わない人、(または)友達もいるかもしれない。
でもこれだけは覚えておいて欲しい。
君たちがこの3年3組で過ごしてきた一瞬一瞬は永遠だということ。
これからの長い人生、色々な出会いがあって、そして長い人生の中で僕の存在も次第に忘れられてゆくけれど、人生の節目に少しだけ「こんな先生もいたな」
と僕のことを思い出してくれれば、それだけで僕は幸せだ。
僕は君たちのことを忘れない。
最後に僕は理科の教員としては、あまり宿題を出してこなかったけれど、今日、君たちに宿題を出したいと思う。
ありきたりの言葉かもしれないけれど「幸せになりなさい。」
君たちには幸せになる権利がある。
これからの人生で自分が幸せだなと思ったとき、僕に会いに来なさい。
本当にこのクラスで僕は幸せだった。
1年間、あるいは入学してから3年間。本当にありがとう。
(ここまで)
卒業式からの続きで最初から最後までしゃべりながらずっと泣いていた。
特に宿題「幸せになりない」は数日前にたまたまネットでみた記事からもってきたのだが、
思いのほか不発。生徒はみんなポカーンとしていた。
やっぱり他人の褌で相撲を取ってもダメだったかww
……っと、ここまで話しても、まだ時間が余っているのだが……。
しょうがない。1人1人握手しようか。と生徒1人1人と握手をしながら言葉をかけて花を手渡した。
でもさらに時間が余ったのでPTAの保護者が何人か廊下にいることを良いことに、クラスの記念写真をとってもらうことにした。
まさかこんなに時間があまるとは思っていなかったので、自分はデジカメやケータイを持っておらず写真は保護者のケータイで。
撮ってもらった写真は……保護者と会うこともないだろうし、何も考えていない。
とにかく全て終わった。明日から息をつく間もなく新入生の準備をしなければならない。
でも今日ぐらいは余韻に浸っていてもよいだろう。
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